プチリタイヤ親父の暇つぶし

毎日仕事に行くわけではないので、空いた時間に散歩に行き行った場所に関した事を書く

古事記を青空文庫で読みました。神功皇后について少し調べてみました。

神戸の神社の多くで神功皇后の名前が出てきたので古事記を読んでみました。

神戸の神社をまわっていると神功皇后の名前がよく出てくるので調べてみようと思い古事記を読んでみました。

自分はせこいので無料で読める青空文庫古事記をダウンロードして読んでみました。この書籍の中では「六.仲哀天皇」の項目の中で紹介されています。古事記自体は神さまや天皇を紹介する形式の書物なので神功皇后も何を行ったかが書かれていました。

青空文庫版だからかはわかりませんがダイジェスト的に何を行ったとは書かれていましたが、出てきた具体的な地名には神戸の地名はありませんでした。唯一それかなと思われた部分はタケフルクマの命の謀で弓の弦を切ってと言う部分がありこれは弓弦神社の由来で切った弓の弦をこの地に埋めたと言う部分がありました。

神戸の各所にある伝説部分は古事記には書かれていないのかなと思いましたが、別の版の古事記を読んでみようと思いこの間申し込んだ神戸市図書館の電子図書館講談社古事記を借りてみました。しかし、借りた本には神武天皇東征の出発部分までしかありませんでした。

神社庁のホームページによる神功皇后の解説のコピペです。

各神社にそれぞれ言い伝えとして伝わっているのでしょうが、少なくとも古事記には書かれていなかったので神社庁のホームページで調べました。

以下の線で挟まれた部分がコピペです。


神功皇后と神社(じんぐうこうごうとじんじゃ)皇后は息長帯比売命息長足姫尊「紀」と記し、仲哀天皇の皇后である。

気長宿禰王の娘で、母は葛城高ぬか(桑に頁)媛である 。仲哀天皇の二年に皇后となられた。九年に天皇が筑紫の訶志比宮(橿日宮)に崩ぜられるや、皇后、齋宮にこもり、神主となって神教を乞われたところ、天照大神住吉三神等が託宣して、われらが天皇新羅の国のことを教えたと示された。よって皇后は、これらの神を祀り、先ず態襲を打ち平定し、軍船をととのえ、新羅を征し、筑紫に凱旋せられ、この地で品陀和気命応神天皇)を生み給うた。天皇幼児であったので、皇太后として政を摂せられた。

九州よりの帰路、海路を大和の都へ向かわれた時、神戸の沖合にて御船が海中へ廻旋して進む事が出来ず、務古の水門に還り、これを卜なわれたところ、神教により稚日女尊を活田長峽国の生田神社に、事代主神を御心長田国の長田神社に、海神三神を海神社に、天照大神荒魂を御心広田国の廣田神社に、海神三押を大津渟中倉長峽の国の本住吉神社等、神功皇后の摂政元年の創始の神社が阪神、摂津の国にみられる。また、北九州地方を始め、瀬戸内海、大阪湾等の海に近い場所には皇后に関係する神社があり、現在から年代を逆のばると千八百年を迎えたことになる。


www.jinjahoncho.or.jp

日本書紀の方も調べてみたいのですが青空文庫にはないんですよね、セコいこと言わずに購入しろよと言われそうですが、なんとかタダで済ませたい金を出せばOKにはしたくないと言うかすいませんセコいだけです。

神戸市の電子図書館には日本書紀がないのでリアルの方の図書館に行ってみようと思います。今回は古事記のみで終わります。